私の文章修業 7
私の文章修業 - 2014年07月25日 (金)
<一人称>
さて、 次に一人称です。
これは 普通にたくさんあります。
シャーロック・ホームズもののほとんどは、 ワトスンの一人称です。
常識人の一人称で 奇人変人を書くと、 ツッコミが入れられます。
アガサ・クリスティ―作「アクロイド殺し」 ですが、
私は 冒頭の12~3ページ目で 犯人が分かっちゃいました。
自慢です。
一人称じゃなければ、 簡単に分かってしまうと思います。
一般に、 犯人の一人称で書かれたものは、 倒叙ミステリーと言われます。
リチャード・ハル作 「伯母殺人事件」は 最後に大笑いしました。
ミステリーでは 一人称が 仕掛けの一つになったりします。
何故かというと、 物語の視点が ごく一部に限定されるからです。
視点の外で何が起こっても 書かなくていい。
しかし、 書きたくても簡単には書けません。
大問題なのは、 人称よりも、
むしろ どういう視点から物語を描くか、 なのではないかと思われます。
そういえば、 ライトノベルの多くが一人称です。
一人称の語り手は、
主人公か、 主人公のすぐ近くに居る目撃者 ということになります。
語り手が知らない事は 書けないからです。
事件は現場で起こっている。
語り手は 物語の中心に居て欲しい。
そうでなければ、 ほとんどが伝聞になってしまいます。
伝聞ばかりで物語を進めるのは、 ややこしいことになりそうです。
一人称の長所は、 読者に感情移入してもらいやすいことでしょうか。
語り手の資質に左右されるので、
おバカにしておくと、 面倒な事は 知らない事にして説明を省く便利さがあります。
でも、 おバカすぎても困りますよね。
もう一度言いますが、 語り手が知らない事は 書けないのです。
調子に乗って、 うっかりしないように 気をつけなくてはなりません。
語り手を、 アラビア語が分からない設定にしたら、
アラビア語が ずらずら出てくるのは おかしいです。
アラビア語だということさえ 解らないかもしれません。
アラビア語だと読者に伝えたければ、 まず 語り手が知らなければなりません。
それなりの手順が必要になります。
語り手が その場に居合わせなかったことは、 誰かに聞かなくてはなりません。
鏡が無ければ、 語り手の姿を描写してはいけません。
例えば <恥ずかしさのあまり、顔を赤くした>は NGです。
<恥ずかしすぎて顔が熱い。 きっと赤くなっているに違いない>
という風にしましょう。
<この時、 まさか僕たちが、あんなことに巻き込まれるとは、予想もしていなかったのだ>
も、 よく考えると ×。
一人称の語り手が、 予想してもいなかったことを 書いてはいけません。
これは、 やりたくなっちゃうんですよね~。
つい、 思わせぶりな事を 書きたくなることってあるんですよ。
でも、 《予知能力者が予知できなかった》 というケースでもなければ、 おかしいんですよ。
時系列が ヘンなことになってしまいます。
どうしても書きたければ、、「後になって思い出せば」のような一言を入れるか、
もしくは、 回顧録にしましょう。
はじめに、 <これは過去のことですよ> と書いてしまえば 大丈夫です。 ← オイ!
うっかりやっちゃいけない事が、 色々とありそうです。
戻る★★★次へ


さて、 次に一人称です。
これは 普通にたくさんあります。
シャーロック・ホームズもののほとんどは、 ワトスンの一人称です。
常識人の一人称で 奇人変人を書くと、 ツッコミが入れられます。
アガサ・クリスティ―作「アクロイド殺し」 ですが、
私は 冒頭の12~3ページ目で 犯人が分かっちゃいました。
自慢です。
一人称じゃなければ、 簡単に分かってしまうと思います。
一般に、 犯人の一人称で書かれたものは、 倒叙ミステリーと言われます。
リチャード・ハル作 「伯母殺人事件」は 最後に大笑いしました。
ミステリーでは 一人称が 仕掛けの一つになったりします。
何故かというと、 物語の視点が ごく一部に限定されるからです。
視点の外で何が起こっても 書かなくていい。
しかし、 書きたくても簡単には書けません。
大問題なのは、 人称よりも、
むしろ どういう視点から物語を描くか、 なのではないかと思われます。
そういえば、 ライトノベルの多くが一人称です。
一人称の語り手は、
主人公か、 主人公のすぐ近くに居る目撃者 ということになります。
語り手が知らない事は 書けないからです。
事件は現場で起こっている。
語り手は 物語の中心に居て欲しい。
そうでなければ、 ほとんどが伝聞になってしまいます。
伝聞ばかりで物語を進めるのは、 ややこしいことになりそうです。
一人称の長所は、 読者に感情移入してもらいやすいことでしょうか。
語り手の資質に左右されるので、
おバカにしておくと、 面倒な事は 知らない事にして説明を省く便利さがあります。
でも、 おバカすぎても困りますよね。
もう一度言いますが、 語り手が知らない事は 書けないのです。
調子に乗って、 うっかりしないように 気をつけなくてはなりません。
語り手を、 アラビア語が分からない設定にしたら、
アラビア語が ずらずら出てくるのは おかしいです。
アラビア語だということさえ 解らないかもしれません。
アラビア語だと読者に伝えたければ、 まず 語り手が知らなければなりません。
それなりの手順が必要になります。
語り手が その場に居合わせなかったことは、 誰かに聞かなくてはなりません。
鏡が無ければ、 語り手の姿を描写してはいけません。
例えば <恥ずかしさのあまり、顔を赤くした>は NGです。
<恥ずかしすぎて顔が熱い。 きっと赤くなっているに違いない>
という風にしましょう。
<この時、 まさか僕たちが、あんなことに巻き込まれるとは、予想もしていなかったのだ>
も、 よく考えると ×。
一人称の語り手が、 予想してもいなかったことを 書いてはいけません。
これは、 やりたくなっちゃうんですよね~。
つい、 思わせぶりな事を 書きたくなることってあるんですよ。
でも、 《予知能力者が予知できなかった》 というケースでもなければ、 おかしいんですよ。
時系列が ヘンなことになってしまいます。
どうしても書きたければ、、「後になって思い出せば」のような一言を入れるか、
もしくは、 回顧録にしましょう。
はじめに、 <これは過去のことですよ> と書いてしまえば 大丈夫です。 ← オイ!
うっかりやっちゃいけない事が、 色々とありそうです。
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