香美位山 弐
南に座す香美位山(かみいやま)の中腹で、 儀式は行われた。
ぽっかり空いた 底知れぬ洞穴を塞いでいた岩が 取りよけられ、
朽ち果てんばかりに古びた 封印の印が外された。
領民でさえ、 いわれを忘れて久しい洞穴の前に立った祈姫は、
紛(まご)うかたなく 清らかで美しく、 また、 気高かった。
耳に馴染(なじ)みの無い 祝詞(のりと)に送られ、 気高き生贄は 謎の洞穴に消えた。
まん丸い二つの握り飯と、 水の入った三本の竹筒を載せた三宝(さんぼう)が 入口に供えられ、
真新しい板で作られた 頑丈な扉に見える蓋(ふた)で、 洞穴は しっかりと塞がれた。
同行した供の者どもは、
産み月が近い大きな腹の奥方をいたわり、 返そうとしたが、
生さぬ仲とはいえ、 我が姫の 大切な役目を見届けたいと、
反対に 他の者どもを引き揚げさせ、
修験者と共に二人、 その場に残った。
さらに続く祝詞の声に見送られ、 涙を抑えて下山してゆく人々の姿が消えると、
奥方は 腹を撫でて笑った。
「ふふ……、 これで、 この子しか居なくなった」
修験者は 祝詞を止めた。
「やれやれ、 祟りを起こすのも、 なかなかに面倒なものだったわ」
「封印が施された洞窟とは、 全くおあつらえ向きに、 もっともらしい場所を見つけたわね。
土地神ではないのでしょう?」
奥方が 目を細める。
「おう、 おそらくは、 大昔に 祟り神か魔物でも封じたのであろうよ。
今となっては、 誰も覚えて居らん。 喰われるかもなあ」
修験者は、 さすがに 少しばかり眉をひそめたが、 奥方は どこ吹く風と受け流す。
「もう、 祟りは起きぬ。
姫よ、 安心して眠りに就くがよい。 永遠にな」
いっそ晴れ晴れしいほどに高らかな声で、 奥方は 洞穴に向かって言い放った。
洞穴の入口は、 香美位山の北面である。
板の継ぎ目にあるはずの わずかな隙間からも、 光といえるほどのものが入り込む事は無い。
闇の中で、 祈姫はその声を聞いた。
やはり と思った。
悲しみながらも、 おのれが抱いてしまった疑惑が 間違いではなかった事に、
少しばかりほっとしていた。
誰もが認める後添えを、 疑ってしまった自分を 許すことができる。
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ぽっかり空いた 底知れぬ洞穴を塞いでいた岩が 取りよけられ、
朽ち果てんばかりに古びた 封印の印が外された。
領民でさえ、 いわれを忘れて久しい洞穴の前に立った祈姫は、
紛(まご)うかたなく 清らかで美しく、 また、 気高かった。
耳に馴染(なじ)みの無い 祝詞(のりと)に送られ、 気高き生贄は 謎の洞穴に消えた。
まん丸い二つの握り飯と、 水の入った三本の竹筒を載せた三宝(さんぼう)が 入口に供えられ、
真新しい板で作られた 頑丈な扉に見える蓋(ふた)で、 洞穴は しっかりと塞がれた。
同行した供の者どもは、
産み月が近い大きな腹の奥方をいたわり、 返そうとしたが、
生さぬ仲とはいえ、 我が姫の 大切な役目を見届けたいと、
反対に 他の者どもを引き揚げさせ、
修験者と共に二人、 その場に残った。
さらに続く祝詞の声に見送られ、 涙を抑えて下山してゆく人々の姿が消えると、
奥方は 腹を撫でて笑った。
「ふふ……、 これで、 この子しか居なくなった」
修験者は 祝詞を止めた。
「やれやれ、 祟りを起こすのも、 なかなかに面倒なものだったわ」
「封印が施された洞窟とは、 全くおあつらえ向きに、 もっともらしい場所を見つけたわね。
土地神ではないのでしょう?」
奥方が 目を細める。
「おう、 おそらくは、 大昔に 祟り神か魔物でも封じたのであろうよ。
今となっては、 誰も覚えて居らん。 喰われるかもなあ」
修験者は、 さすがに 少しばかり眉をひそめたが、 奥方は どこ吹く風と受け流す。
「もう、 祟りは起きぬ。
姫よ、 安心して眠りに就くがよい。 永遠にな」
いっそ晴れ晴れしいほどに高らかな声で、 奥方は 洞穴に向かって言い放った。
洞穴の入口は、 香美位山の北面である。
板の継ぎ目にあるはずの わずかな隙間からも、 光といえるほどのものが入り込む事は無い。
闇の中で、 祈姫はその声を聞いた。
やはり と思った。
悲しみながらも、 おのれが抱いてしまった疑惑が 間違いではなかった事に、
少しばかりほっとしていた。
誰もが認める後添えを、 疑ってしまった自分を 許すことができる。
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