くれないの影 第六章――10
「そういえば、 あの火事の時のことを まだ聞いていない」
鹿の子が みんなの顔を見回す。
「付け火だったってことさ」
例によって 権佐が物音に気づき、
外を囲まれているのを知って、 掃き出し口からこっそり逃げた。
権佐は自慢の笛、 逸は短刀
というように 各々が 大事で身近な物を持ち出すのがせいぜいだったが、
非常事態にヘンなものを持ち出す人間は、 けっこう居るものだ。
隼人は 綱渡りの綱を持って逃げた。
それが 思わぬ役に立つことになる。
燃え上がる舞台を囲んで 動こうとしない犯人たちを避けると、
逃げ道は谷しかなかった。
綱を対岸の木に絡め、 身の軽い隼人が渡った。
丈夫な幹に結びなおして、 他の面々が対岸に移った。
昼間ならば、 恐ろしくて 無理だったろう。
だが、 燃え盛る炎の明かりも、 谷底までは届かない。
足を引っ張ったのが 太った権佐だった。
余った綱で 荷物よろしく括られ、 ぶらさげて引っ張る羽目になった。
それ以後、 紫苑から 痩せろとしつこく責められることになる。
追っ手に追いつかれないように、 綱を切って捨てたまでは良かったが、
自分たちも戻れなくなった。
結局 思わぬ大回りをすることになったことで、
運良く 権佐の知り合い 綺羅君にめぐり合ったのだ。
綺羅君は、 はじめから 鹿の子を捜しに通っていたことになる。
頼りになるのかならないのか、 よく分からない人だ。
再出発の準備は整った。
「じゃあ 行くか。 雪が降る前にここを出よう」
仕度を確認して、 藤伍が言う。
居合わせた謙介が 黙って頭を下げた。
「屋敷に 別れを告げに来ないのか」
ついでのように、 ぼそりと付け足す。
「いや、 あっしらとは住む世界が違う。 もう関係が無い。 こっそり行くさ」
「そうさね。 そう言やあ、 あの真っ白い猫は 見つかったかい」
都茱は なにげに猫好きだ。
あの夜、 騒ぎが収まった時には 淡雪の姿が消えていたのだ。
「いや、 みなで探したが あれきり行方が知れない。
元々 淡雪がいつ来たのかを誰も知らないのだ。
いつの間にか現れて お屋形様になついていた。
また 何処ぞに行ってしまったのだろう。 では、 達者で暮らせ」
謙介は もう一度頭を下げ、 帰っていった。
隼人が 一人妙な顔をしている。
「どうしたの、 隼人。 お腹が空いた?」
「猫…… 消えた」
「それがどうしたの」
「ぽとんと涙が、 頭に…… で、 雪みたいに、 ふわっと消えた。 おいら見たんだ」
「寝ぼけてたんだろ。
それより親方。 やろうよ、 軽業。 あっちに空き地がある」
何かを吹っ切るように、 鹿の子が言った。
「そういや、 一度もやってなかったな。 最後に 一つご披露するか」
お客を喜ばせるのが、 旅芸人の本分。
驚いた笑顔が、 何よりの報酬。
紅王丸様、 どこかで見ていたら、 きっと笑ってくださいね。
権佐が吹き鳴らす笛に乗って、 鹿の子と隼人は、 軽やかに とんぼを切った。
了
戻る★あとがきのようなものへ

