犬派のねこまんま 16である byねこじゃらし
犬派のねこまんま - 2012年09月13日 (木)
<日本語の発音>
子どもの頃、 アナウンサーになりたいと思ったことがある。
言っておくが 女子アナ ではない。
バラエティー番組で おちゃらけたい訳でも、
クイズ番組で ボケをかましたい訳でも、
画面の中で 歌を歌いたいわけでもない。
ナレーションとか、 朗読とかをしたかったのである。
ある時、 クラスメイトの一人に 「何か面白い本はなあい? あったら貸して」 と言われ、
読み終わったばかりで 興奮状態にあった事もあり、
芥川龍之介の 「奉教人の死」 を貸した。
ところが、 すぐに返された。
「ええっ、 面白いのに―」 と言えば。
「なんかあ、 読むのが めんどくさそう。 読んでも 頭に入ってこなーい」 との返事。
面白いのに、 なんで 読みもせずに返してくるかなあ。
じれったさが高じて、 その場で 声に出して 1ページ目から読み上げてやった。
そうしたら、 ちゃんと聞くのである。
「読んでもらうと、 意味がよく分かるぅ」 なんてことを のたまう。
そのまま 一冊読み切ってやろうかと思ったが、
放課後の教室は、 そんな悠長な事を許しはくれなかった。
「ねえ、 宿題なんだけどさー、……」
「ねえ、 まだ帰んないの?」
「今日、 部活は?」
「掃除するから、 どいてくんない」
朗読の場ではなかった。 欲求不満である。
読むのが好きだ。
聞いている人が 内容を理解できるような読み方に 興味がわいた。
読む仕事って何だろう。 そうだ、アナウンサーになろう。 単純である。
そこに 一人の国語教師が居た。
独特の授業 をする人で、 まあ、 うるさい先生だった。
何しろ 生活指導の先生 だったのだ。 想像してもらえると思う。
吾輩は 大して悪いことはしない。
普通の生徒だったのだが、 生活指導とは、 相性 があまりよろしくなかった。
何故だか分からない。
宿題 をしなかったり、 遅刻 が少々多かったり、
たまに 、学校が開く前に 早朝登校をして、 校内をうろつく くらいしかしていない。
開いていないから、 門は よじ登って越える しかないのだ。
鍵をかけ忘れた窓から 校舎に侵入したことは 1、2度しかなかったはずだ。
見つかってはいない と思う。
いじめをしたことはないどころか、 いじめられっ子に懐かれたりした。、
学校のイベントには 張り切って参加した。
かなり良い子のはずだ。 分からない。
ある日の授業の事である。
「教科書を読みたい人」 先生が言うと、 ほぼ全員 が一斉に手を上げる。
まあ、 そういう仕組み である。 テストの成績に 加算されるのだ。
吾輩が指されて、読んだ。
途中で 先生がさえぎる。
「非常によく読めているが、語尾が弱い」 と言い出した。
「~です」の「す」、 「~でした」の「た」 の音の発音が弱い。 というのだ。
気をつけて呼んだつもりだが、 やっぱり ダメダシ を喰らった。
吾輩は、 腹の底から でかい声 を出して読んだ。
先生は「語尾が弱い」 というばかりで、 止めないので、
その日の授業予定の範囲を越えて、 どんどん、 どでかい声で読んだ。
国語の授業で、 日本語の発音 をあそこまで指導されたのは、 あれが 最初で最後だった。
通常の授業では、 案外、 発音を指導されることはないよう思う。
何故 そこまでこだわったのか 分からない。
アナウンサーになりたい などとは誰にも告白していなかったのだから、 先生が知っていたはずがない。
読み間違いは 一つもない。
咬んだりも しない。
句点、 読点 を意識して、 リズミカルに読んだ。
ふつう、 国語の授業なら、 それで良いではないか。
だが、 先生は「語尾が弱い」 としか言わない。
それ以外は文句無し なのだそうだ。
念のために言っておくが、
その先生は、 授業中に ねちねちと生徒をいじめるタイプではない。
文句があれば、 職員室に呼び出して、 みっちりお説教 をするタイプだ。
断言できる。
何故かと言うと、 経験 したからだ。 間違いない。
先生はあきらめたのか、 戻って次の子が読んだ。
その時、 どこが違うのか分からなかった。
アナウンサーの線は消えた。
あれは 運命の授業 だったのだろうか。
社会人になり、 独り暮らしをするようになって、
ひょんなことから 二週間ほどデンマーク人を居候させていた事がある。
デンマーク語を知らない日本人と、 日本語を知らないデンマーク人 の同居である。
それなりらしい英語と 赤点常習者の英語 でも何とかなるものだ。
デンマーク人は、 日本語を覚えたいらしかったが、 こっちはそれどころではない。
バイト先で 少しずつ教わっていたらしい。
そんなある日、 デンマーク人が言ったのだ。
日本語の語尾「~です」は 「~des」の発音であって、 「~desu」ではないと。
これは、 向こうから不思議そうに言ってきた。
吾輩が言いだした訳ではないから、 彼女が会った日本人の多くが そうだったのだろう。
という事で、 「~です」の「す」 は大目に見てもらうとしても、 問題は「た」である。
「たまごやき」 は平気だ。 「すったもんだ」 も問題ない。
が、 「~でした」 がいけない。 特に「~だった」 が駄目だ。
声帯が動かないから、 半分、 無声音のようになる。 喉が 震えていないのだ。
無理して発音すると、 なんともわざとらしい 不自然な話し方になる。
頑張って もうちょっと説明してみよう。
えーと、 マンガでは、 擬音語がよく使われる。
走るところで、 「タッタッタッタッ」 なんて字があったりする。
忍者 が足音をたてないように、 素早く走る 感じをイメージして欲しい。
そんな「タッタッタッタッ」 である。
よけいに 分かりにくくなったかもしれない。
つまるところ 、困った事に、
吾輩は日本語の発音が不自由 らしい。
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子どもの頃、 アナウンサーになりたいと思ったことがある。
言っておくが 女子アナ ではない。
バラエティー番組で おちゃらけたい訳でも、
クイズ番組で ボケをかましたい訳でも、
画面の中で 歌を歌いたいわけでもない。
ナレーションとか、 朗読とかをしたかったのである。
ある時、 クラスメイトの一人に 「何か面白い本はなあい? あったら貸して」 と言われ、
読み終わったばかりで 興奮状態にあった事もあり、
芥川龍之介の 「奉教人の死」 を貸した。
ところが、 すぐに返された。
「ええっ、 面白いのに―」 と言えば。
「なんかあ、 読むのが めんどくさそう。 読んでも 頭に入ってこなーい」 との返事。
面白いのに、 なんで 読みもせずに返してくるかなあ。
じれったさが高じて、 その場で 声に出して 1ページ目から読み上げてやった。
そうしたら、 ちゃんと聞くのである。
「読んでもらうと、 意味がよく分かるぅ」 なんてことを のたまう。
そのまま 一冊読み切ってやろうかと思ったが、
放課後の教室は、 そんな悠長な事を許しはくれなかった。
「ねえ、 宿題なんだけどさー、……」
「ねえ、 まだ帰んないの?」
「今日、 部活は?」
「掃除するから、 どいてくんない」
朗読の場ではなかった。 欲求不満である。
読むのが好きだ。
聞いている人が 内容を理解できるような読み方に 興味がわいた。
読む仕事って何だろう。 そうだ、アナウンサーになろう。 単純である。
そこに 一人の国語教師が居た。
独特の授業 をする人で、 まあ、 うるさい先生だった。
何しろ 生活指導の先生 だったのだ。 想像してもらえると思う。
吾輩は 大して悪いことはしない。
普通の生徒だったのだが、 生活指導とは、 相性 があまりよろしくなかった。
何故だか分からない。
宿題 をしなかったり、 遅刻 が少々多かったり、
たまに 、学校が開く前に 早朝登校をして、 校内をうろつく くらいしかしていない。
開いていないから、 門は よじ登って越える しかないのだ。
鍵をかけ忘れた窓から 校舎に侵入したことは 1、2度しかなかったはずだ。
見つかってはいない と思う。
いじめをしたことはないどころか、 いじめられっ子に懐かれたりした。、
学校のイベントには 張り切って参加した。
かなり良い子のはずだ。 分からない。
ある日の授業の事である。
「教科書を読みたい人」 先生が言うと、 ほぼ全員 が一斉に手を上げる。
まあ、 そういう仕組み である。 テストの成績に 加算されるのだ。
吾輩が指されて、読んだ。
途中で 先生がさえぎる。
「非常によく読めているが、語尾が弱い」 と言い出した。
「~です」の「す」、 「~でした」の「た」 の音の発音が弱い。 というのだ。
気をつけて呼んだつもりだが、 やっぱり ダメダシ を喰らった。
吾輩は、 腹の底から でかい声 を出して読んだ。
先生は「語尾が弱い」 というばかりで、 止めないので、
その日の授業予定の範囲を越えて、 どんどん、 どでかい声で読んだ。
国語の授業で、 日本語の発音 をあそこまで指導されたのは、 あれが 最初で最後だった。
通常の授業では、 案外、 発音を指導されることはないよう思う。
何故 そこまでこだわったのか 分からない。
アナウンサーになりたい などとは誰にも告白していなかったのだから、 先生が知っていたはずがない。
読み間違いは 一つもない。
咬んだりも しない。
句点、 読点 を意識して、 リズミカルに読んだ。
ふつう、 国語の授業なら、 それで良いではないか。
だが、 先生は「語尾が弱い」 としか言わない。
それ以外は文句無し なのだそうだ。
念のために言っておくが、
その先生は、 授業中に ねちねちと生徒をいじめるタイプではない。
文句があれば、 職員室に呼び出して、 みっちりお説教 をするタイプだ。
断言できる。
何故かと言うと、 経験 したからだ。 間違いない。
先生はあきらめたのか、 戻って次の子が読んだ。
その時、 どこが違うのか分からなかった。
アナウンサーの線は消えた。
あれは 運命の授業 だったのだろうか。
社会人になり、 独り暮らしをするようになって、
ひょんなことから 二週間ほどデンマーク人を居候させていた事がある。
デンマーク語を知らない日本人と、 日本語を知らないデンマーク人 の同居である。
それなりらしい英語と 赤点常習者の英語 でも何とかなるものだ。
デンマーク人は、 日本語を覚えたいらしかったが、 こっちはそれどころではない。
バイト先で 少しずつ教わっていたらしい。
そんなある日、 デンマーク人が言ったのだ。
日本語の語尾「~です」は 「~des」の発音であって、 「~desu」ではないと。
これは、 向こうから不思議そうに言ってきた。
吾輩が言いだした訳ではないから、 彼女が会った日本人の多くが そうだったのだろう。
という事で、 「~です」の「す」 は大目に見てもらうとしても、 問題は「た」である。
「たまごやき」 は平気だ。 「すったもんだ」 も問題ない。
が、 「~でした」 がいけない。 特に「~だった」 が駄目だ。
声帯が動かないから、 半分、 無声音のようになる。 喉が 震えていないのだ。
無理して発音すると、 なんともわざとらしい 不自然な話し方になる。
頑張って もうちょっと説明してみよう。
えーと、 マンガでは、 擬音語がよく使われる。
走るところで、 「タッタッタッタッ」 なんて字があったりする。
忍者 が足音をたてないように、 素早く走る 感じをイメージして欲しい。
そんな「タッタッタッタッ」 である。
よけいに 分かりにくくなったかもしれない。
つまるところ 、困った事に、
吾輩は日本語の発音が不自由 らしい。
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