九郎判官義経
あれこれ放談 - 2023年09月18日 (月)
いきなりですが、昨年の大河「鎌倉殿の13人」で義経を演じた菅田将暉君。
良かったわ〜。ファンになりました。
日本人は判官贔屓が多い。とよく言われます。
その判官贔屓の本家本元・元祖こそが、九郎判官義経。
日本中から贔屓され続けた人です。
数々の言い伝えが残っています。
鞍馬山で修行していた少年時代、
京の五条の橋の上、刀狩りをしていた弁慶に襲われるも、返り討ちにして家来にしました。
絵本にも童謡にもなりました。
長じては、鎌倉の兄頼朝の元に駆けつけ、
一の谷では、鵯越の逆落としで平家の本陣を奇襲して大勝利。
海戦になれば、舟から舟へと飛び移りながら敵を討っての八艘飛び。
源氏に勝利をもたらしました。
運動神経が抜群だったのでしょうね。
<鵯越の逆落とし>といえば、おお、義経だな。
<八艘飛び>といえば、うん、義経だね。
というのが、長い間日本人の常識でした。
それなのに一転。
兄の頼朝に疑われて追われます。
逃げる途中の安宅の関。
通り抜ける為に弁慶の打った芝居に黙って付き合います。
この辺りは、能の「安宅」や、歌舞伎十八番の「勧進帳」になりました。
平泉まで落ち延びるも、頼った藤原秀衡が死亡。息子の泰衡に襲撃されて死にました。
その時に、弁慶が最期まで義経を守ろうと仁王立ちしたままに死んだらしいです。
そう伝えられています。
その時に義経は死んだはずです。
なんですが……。
何故か、その後のことも伝わっています。
遠野から青森へ、青森から北海道まで、義経が通ったと言う話が伝わっています。
それどころか、北海道から大陸に渡ってジンギスカンになったという話まであります。
そこまでいくと、さすがにデマでしょうと言いたくなります。
デマでしょう。
義経は小柄だったらしいです。
ジンギスカンは大男だったらしいです。
デマでしょう。
とにかく伝説が多すぎます。
多くは「義経記」のせいでしょうけど、多すぎます。
たった一人の人間のことだとは思えなくなります。
歴史上の人物だというのに、こいつは何なんだ。
生身の人間が想像できません。
私の想像力が全く追いつきません。
助けてくれたのが「鎌倉殿の13人」の菅田将暉君でした。
ああ、なるほど。腑に落ちた感じがしました。
元気いっぱいで頑張ったのに、
歴史の大渦に巻き込まれて、たった31歳ですり潰された。
確かに悲劇の人なのですね。
若い人の感性ってすばらしい。
新鮮な感動を覚えました。

