なんと申しましょうか
あれこれ放談 - 2022年07月23日 (土)
ウクライナの子どもが戦争で亡くなった。
そういうニュースを度々見る。
心を痛めているのは、戦地から遠く離れた地で暮らす人たちだろう。
そのニュースを聞いても、たぶん、ロシア兵は気にしない。
もう77年も前になるが、日本も戦争をしていた。
日本各地の都市が、空から飛行機で襲撃された。
ウクライナでは「民間施設まで攻撃された」と憤っているが、
日本の空襲で焼かれたのは、ほぼ民家だった。
生まれたばかりの赤ん坊から死に際の年寄りまで、
見境無しに攻撃されて、命を落としている。
たぶん、アメリカ兵は、気にしなかった。
当時小学生の子どもだったという人の回想を読んだことがある。
彼は田んぼと畑しかないような田舎の子だった。
近所の友人たちと連れ立って登下校していた。
ある日、頭上に爆音が近づいてきて、機銃掃射を受けた。
田んぼと畑しかない田舎道を歩く小学生ばかりの小集団にである。
散り散りに散って逃げたが、撃たれて死んだ子が居た。
その日から何度か同じようなことがあった。
彼が大人になって気がついたことだが、都市が空襲を受けた日時とリンクしていた。
彼が考えるに、爆撃機を護衛する戦闘機だったのではないか。
華々しかったであろう爆撃機の活躍に比べて、護衛機の出番は少なかったろう。
使わなかった弾薬を帰還の途中で使ったのではないだろうか。
何しろ、田んぼと畑しかない田舎道である。
小学生くらいしか歩いていない。
後から思うと恐ろしいことに、だんだん慣れていった。
機銃掃射から逃げ回ることにスリルさえ感じていたという。
田舎の子らは、すばしっこく逃げ回ったことだろう。
そしてある時、
一機が高度をどんどん下げてきた。
狙い撃ちしてきた。
彼が必死に逃げながら振り向くと、
飛行機がはっきり見えるところまで来ていた。
楽しそうに撃つ米兵の顔まではっきり見えたという。
それはそれは楽しそうな笑顔だったという。
米兵はゲームのように楽しんでいたのだろう。
鬼畜米英と言われても反論できないよねえ。
逃げる方も撃つ方も、慣れてしまうんだろう。
米兵だからじゃない。
ロシア兵だからじゃない。
中東では、子どもに爆弾を背負わせて、子どもごと敵を爆殺なんてこともあった。
日本兵だってやったはずだ。
クアム島で生き延びた横井庄一さんの証言がある。
終戦後に死んだ日本兵のほとんどは、グアムの現地人に殺された。
だから、終戦を知っていても出て来れなかった。
現地人に見つかったら殺されるから。
恨みを買っていたんだろうね。
なに人だからではなく、戦争だから。
もしくは、人間だから。
これを、仏教では業(ごう)と言い、
キリスト教では原罪と言うんだろう。
なんと申しましょうか、人間やるのも大変です。

