多様性で良いんだな
あれこれ放談 - 2021年08月11日 (水)
近頃よく耳にするのが「多様性」と「格差」
どちらも気軽に使われている。
今年の流行語になりそうな勢いだ。
まずは「多様性」
自然界では、わざわざ持ち出すまでもなく、多様だ。
例えば八百屋やスーパーに並ぶトマト。
農協やら仕入れ担当やらのプロたちが規格にのっとって選別したものだ。
だけど、よく見るまでもなく同じものはない。
だから買い物客は、どれが美味しそうかなと真剣に選ぶ。
ほとんどの人が見に覚えはあることと思うが、いかがだろか。
自然界にあるものは、多様が基本である。
どんなに瓜二つに見えても、違いがある。
人間に限ってみても、指紋が違う。静脈も違う。
血液型の種類の組み合わせも、地球の全人口よりはるかに多いらしい。
人間も自然の生物だから、放っておけば多様なのだ。
「人殺しが楽しくて仕方がない」という人間がいてもおかしくない。
しかし、そんな人間ばかりがいる集団は、まず発展は見込めないだろう。
文化も技術も継承されないだろうからだ。
人間の集団が社会を形成して発展するにためには、
道徳とか宗教とか法律とかで纏めた方が効率がいい。
社会がある程度画一化された方が都合がいいはずだ。
それなのに、最近ことさらに「多様性」と叫んで、大丈夫なんだろうか。
画一化が進み過ぎたせいかもしれないと思って見た。
社会が大きくなりすぎた。
「地球は一つ」なんてことを言っちゃうから、もう大変。
小さな社会よりもやりくりが大変だ。
「多様性」と「画一性」どこでどう折り合いをつけるか、
整理した方が良いんじゃないかとも思うけど。
難しいよね。
すいません。訳が分からなくなりました。

