くれないの影 第一章――4
十六夜(いざよい)の朧月(おぼろづき)が、 今は 何も無い舞台を 照らしていた。
夜露が湿って、 何処からか 草の匂いを漂わせてくる。
がらんとした舞台の端っこに 腰をかけて、 足をぶらぶらさせているのは 隼人だった。
「こんなところで 何をしている。 冷えるぞ」
さりげなく声をかけたのは 藤伍だ。
隼人は 揺らせていた足を止めるが、 うつむいて黙ったままだ。
藤伍は 自分が羽織っていた厚手の半纏(はんてん)を脱いで 掛けてやり、 隣に腰をかけた。
「悩みの多いお年頃ってか。 困ってることがあるなら、 男同士相談に乗ろうじゃないか」
「……うん。 おいら 才能ないのかなあ」
「なんだ、 そんなこたあないぞ。 なかなか筋(すじ)がいい。
体も柔らかいし、 勘も良い。 拾い物だと思っているぞ」
孤児の隼人は、 文字通り 一座に拾われた。
「じゃあ 何で 鹿の子に追いつけないんだ。 おいら男だぞ」
「ははあ、 そういうことか。 気にしなくて良い」
鹿の子と隼人が組んで、 とんぼをきったり 宙返りをしたりと、 跳び回る芸を披露する。
綱を張る場所があれば 綱渡りもしてみせる。
かわいらしい容姿の二人は 人気者だ。
この二人を仕込んだのは 鉄次という男だ。
商売換えして 最初に入った軽業師だ。 今は引退して 一座を抜けている。
体を作る基礎訓練では 鹿の子は 苦労した。
軽業をさせるのは 無理かもしれない と誰もが思った。
少しやらせてみて 駄目なようだったら、
別の道を考えてやらなくては と藤伍も 腹積もりをしていた。
ところが、 実際に 技を教えはじめると 見る見る上達したのだ。
これには 皆あっけにとられた。
鉄次が 目の前でやって見せる技を 次々とこなす。
後から入った隼人は 元々身が軽い。 基礎訓練を難なくこなした。
だが、 技を覚えるには、 一つ一つ 稽古(けいこ)に稽古を重ねて 身に着けていくしかない。
隼人も 決して不器用なほうではない。 むしろ普通の人間より よほど軽業に向いている。
鹿の子が 普通ではないのだ。
つい先だって、 隼人は 自ら思いついた新しい技を 編み出した。
身軽な体を生かした工夫で、 鹿の子には無理だろう と得意になって見せたのだが、
じっと見ていた鹿の子は すぐに 真似をした。
考え付いた自分が あれほど苦労して やっと できるようになったというのに、
と思うと 情けなくて 落ち込んでしまったのだ。
「…………気にする」
「鹿の子は 特別だ。
おまえ、 技を見ているときの 鹿の子の様子に気が付いてないか」
「ぼうっとしている。
おいらなんか 目を皿のようにして 必死に見ているのに、
鹿の子は ぼんやりして、 見ているのか見ていないのか 分からない。
だから口惜しい」
隼人は さらに肩を落とす。
「おまえは 聞いたことがないのか。
俺は 鹿の子に 聞いてみたことがある。
どうやって あんなに早く 技を覚えるんだってな」
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