くれないの影 第一章 次嶺経(つぎねふ)は山また山――1
<はじめに>
「くれないの影」は ファンタジーです。
日本の「昔」を参考にしていますが、 実際の歴史と整合性はありません。
人物、 場所 にも特定のモデルは ありません。
本当の歴史と ごっちゃにしないよう、 ご注意ください。 あくまで 作者の想像の世界です。
では、 和風ファンタジーの世界を お楽しみくださいませ。
木の間隠れの峠道に、 荷車を引いて通る一団があった。
総勢八人。
二人の男女が 道を確かめるように 先を行き、
その後を きわだった大男が かじ棒を引いて進み、
四人の男女が 荷車のまわりを手伝って 勾配(こうばい)を登っていく。
後から一人遅れて、 太った腹を揺らしながら、
肌寒い空気をかき乱すかのように 汗をふきふき追いかける男もいる。
ふいに 道は下りに入った。
横に付いていた娘が、 ひょいと荷車に飛び乗る。
髪を高めにくくり、 細身の袴(はかま)のすそを絞って 裁着(たっつ)けにしている。
女にしては 身軽すぎる身なりだ。
「こら、 鹿の子(かのこ)。 またおまえは」
荷車の後ろを押していた 髭面(ひげづら)の男が叱ったが、
声は やれやれとでも言うように 笑っている。
男の顔は 真っ黒な髭におおわれて 年齢を判断するには 難しく、
いかつい雰囲気が 一見して たくましそうな印象だが、
よくよく見れば、 もう少し食べたほうが良いんじゃないか と思うほどに やせぎすである。
「へへーん、 らくちん、 らくちん」
鹿の子と呼ばれた娘は 気にもしない。
「しょうがない子だねえ。 下りのほうが 後から足にくるんだよ。 ねえ、 ガジ」
やはり後ろを押していた女も 鹿の子を叱りついでに 大男に話しかけるが、
かじ棒を持つ ガジという大男は 気にする風もなく笑った。
「確かに 紫苑(しおん)の言うとおりだが、 細っこい娘一人くらい 屁でもないさ」
それを聞いて、 紫苑もふんとばかりに 荷車から手を放す。
まだ二十歳そこそこの若い女で、 眉ばかりは きれいな三日月形に整えられているが、
目は 切れ長というには お世辞にも細すぎた。
「屁だってさ。 やっぱり 鹿の子は屁なのか」
横を歩く男の子が 喜んで まぜっかえす。
声変わりが始まったのか ガラガラ声だが、 言うことは 全くの子どもだ。
「屁でもないって言ったんだよ。 隼人(はやと)は 頭ばかりか 耳まで悪いらしい」
鹿の子に言い返されて、 チェッと舌打ちながら 蹴った小石が、 思わぬ高みまで はじけ飛んだ。
小石は 弧を描いて 芽吹き始めた 幼い緑の茂みを打ち揺らし、
その音に驚いたのか、 雑木の枝にとまっていた鴉(からす)が 飛び立った。
「あっ、 ねえ、 見た見た? 今の鴉、 赤いものが付いていた。
血かなあ、 怪我してるのかなあ」
騒ぎ立てる鹿の子に、 隼人は ぶぜんとして言い返す。
「俺は ぶつけてないぞ」
「分かってるわよ。 隼人の礫(つぶて)じゃ 雀も落せない」
「そんなこと無いぞ。 ちゃんと狙って 手を使って打てば、 雀くらいは一発だ」
抗議する声が つらそうにひっくり返る。
「あれは けがじゃなさそうだ。 赤いものでも くっついているんだろうよ」
ふいに声をあげたのは、先頭を歩いている男。
四十ほどの年回りに見える。
がっしりとした背格好の 落ち着いた様子は、 その中で 一番頼りになりそうだ。
軽業(かるわざ)一座の座長 藤伍(とうご)だ。
「みんな、 もうじき 次嶺経(つぎねふ)の郷(さと)だ。
日暮れまでには着かないとな。 急ぐぞ。 日が暮れたら やっかいだ」
一行の足取りが、 こころもち速くなった。
山の奥にも 春はきちんと やって来たようだ。
やわらかい日差しを受けて 枝を伸ばした雑木に、 きらきらと鮮やかな緑が揺れていた。
「うわあ、 広いなあ。 こんなに開けた場所とは思わなかった」
鹿の子と隼人が 眼下の家々と田畑に 目を見張る。
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