「本能寺の変」は変だ! 435年目の再審請求
あれこれ放談 - 2018年02月26日 (月)
ストレートな題名に引かれて買いました。
著者は明智憲三郎。
面白かった。
「本能寺の変」は本当に変。
著者もそう思ったらしく、片っ端から資料を検証したらしい。
そもそも動機が分からない。
信長がいじめ過ぎてぶち切れたという説が昔から有名だ。
頭をガンガン打ち付けて怒ったとか、
無茶な国替えを言い渡したとかだが、
腑に落ちない。
明智は織田の譜代じゃない。
途中入社組だ。
それでもトントンと出世して、信長の側近くで仕えていた。
わざわざいじめるために取り立てたとは考え難い。
気に入られていたんだと思う。
他に、長宗我部がどうたらとか、
朝廷の意向を受けて、とかの説があるけど説得力が感じられない。
では、何故謀反を起こしたのか。
著者が提示する動機は分かりやすい。
ずばり、一族が生き残るため。
これ以上分かりやすい動機は無い。
話は少し変わるが、
皆さんは、小説を読んだり映画を見て、
切腹を命じられた武士が何故命じられるままに腹を切るのか、
不思議に思った事は無いだろうか。
何故、逆らったり逃げたりしないのか。
<切腹を許す>と言う言い方に、疑問を感じた事は無いだろうか。
私の先祖は、分かっている限り戦国時代から武士だったらしい。
どんどん遡れば、類人猿だろうけど(笑)
子どもの頃、そんな一族の年寄りが言ったのだ。
「俸禄が減っても、家が存続するとか、
一族に累が及ばないとかの約束、あるいは確かな暗黙の了解が無ければ、
誰が腹を切ったりするものか。
家がつぶされるとか、一族がやられると思えば、逆らうに決まっている」
なるほどと思ったものでした。
だから、<切腹を許す>なんですね。
武士道といえば「葉隠」が有名ですが、
その年寄りは、こんな事も言ってました。
「あれは頭がおかしい。
よほどめんどくさい立場に追いやられて、
にっちもさっちもいかなくなった人物が書いたんだろう」
だそうです。
著者も書いています。
戦国時代の武将の判断には、一族の存亡がかかっている。
合理的な判断をしたはずだ。
私も、そう思います。
著者の考える動機が当たっているなら、
光秀の目的は果たされた訳です。
著者の名前でお気づきのように、子孫だそうです。
この再審請求調書は、うなずける事が多いです。
光秀の娘の一人は「洞が峠」で有名な筒井順慶の息子の嫁です。
本能寺の変以降も、問題なく過ごしていたらしいのに引き換え、
もう一人の娘、細川忠興に嫁いだガラシャ夫人は本能寺の変後、
夫に幽閉されました。
この扱いの違いの背景も分かった気がします。
徳川家康が、光秀と共に「本能寺の変」を起こした斎藤利三の娘(春日局)を
大事な跡継ぎ——後の家光——の乳母に選んだ不思議も、
なんとなく分かるような気がします。
教科書では「刀狩り」と「検地」は豊臣秀吉がやったと教わりました。
でも、あれは信長の計画だったらしいと他の本で知りました。
朝廷から官位をもらった以外は、信長の計画を利用していた節があります。
そう考えると、もう一つ、
死を目前にした秀吉が妄執のように拘った「信長の計画」。
明智光秀に謀反を起こさせた原因。
あ〜あ、そういう事かあ〜。
もしも、その計画を止められるとしたら、
千利休か、秀次くらいしかいなかったんだろうな。
だから殺されたんだろうな。
歴史上の不思議が、上手い具合に説明できます。
あくまでも「もしかしたら」の話だけれど、
家康がなりふり構わず秀頼を殺したのも、
鎖国をしたのも、
「信長の計画」を完全につぶすためだったのかも、
なんて思ってしまった。
面白かったです。
タンポとタンポン★★★朝ドラの国防服が変

著者は明智憲三郎。
面白かった。
「本能寺の変」は本当に変。
著者もそう思ったらしく、片っ端から資料を検証したらしい。
そもそも動機が分からない。
信長がいじめ過ぎてぶち切れたという説が昔から有名だ。
頭をガンガン打ち付けて怒ったとか、
無茶な国替えを言い渡したとかだが、
腑に落ちない。
明智は織田の譜代じゃない。
途中入社組だ。
それでもトントンと出世して、信長の側近くで仕えていた。
わざわざいじめるために取り立てたとは考え難い。
気に入られていたんだと思う。
他に、長宗我部がどうたらとか、
朝廷の意向を受けて、とかの説があるけど説得力が感じられない。
では、何故謀反を起こしたのか。
著者が提示する動機は分かりやすい。
ずばり、一族が生き残るため。
これ以上分かりやすい動機は無い。
話は少し変わるが、
皆さんは、小説を読んだり映画を見て、
切腹を命じられた武士が何故命じられるままに腹を切るのか、
不思議に思った事は無いだろうか。
何故、逆らったり逃げたりしないのか。
<切腹を許す>と言う言い方に、疑問を感じた事は無いだろうか。
私の先祖は、分かっている限り戦国時代から武士だったらしい。
どんどん遡れば、類人猿だろうけど(笑)
子どもの頃、そんな一族の年寄りが言ったのだ。
「俸禄が減っても、家が存続するとか、
一族に累が及ばないとかの約束、あるいは確かな暗黙の了解が無ければ、
誰が腹を切ったりするものか。
家がつぶされるとか、一族がやられると思えば、逆らうに決まっている」
なるほどと思ったものでした。
だから、<切腹を許す>なんですね。
武士道といえば「葉隠」が有名ですが、
その年寄りは、こんな事も言ってました。
「あれは頭がおかしい。
よほどめんどくさい立場に追いやられて、
にっちもさっちもいかなくなった人物が書いたんだろう」
だそうです。
著者も書いています。
戦国時代の武将の判断には、一族の存亡がかかっている。
合理的な判断をしたはずだ。
私も、そう思います。
著者の考える動機が当たっているなら、
光秀の目的は果たされた訳です。
著者の名前でお気づきのように、子孫だそうです。
この再審請求調書は、うなずける事が多いです。
光秀の娘の一人は「洞が峠」で有名な筒井順慶の息子の嫁です。
本能寺の変以降も、問題なく過ごしていたらしいのに引き換え、
もう一人の娘、細川忠興に嫁いだガラシャ夫人は本能寺の変後、
夫に幽閉されました。
この扱いの違いの背景も分かった気がします。
徳川家康が、光秀と共に「本能寺の変」を起こした斎藤利三の娘(春日局)を
大事な跡継ぎ——後の家光——の乳母に選んだ不思議も、
なんとなく分かるような気がします。
教科書では「刀狩り」と「検地」は豊臣秀吉がやったと教わりました。
でも、あれは信長の計画だったらしいと他の本で知りました。
朝廷から官位をもらった以外は、信長の計画を利用していた節があります。
そう考えると、もう一つ、
死を目前にした秀吉が妄執のように拘った「信長の計画」。
明智光秀に謀反を起こさせた原因。
あ〜あ、そういう事かあ〜。
もしも、その計画を止められるとしたら、
千利休か、秀次くらいしかいなかったんだろうな。
だから殺されたんだろうな。
歴史上の不思議が、上手い具合に説明できます。
あくまでも「もしかしたら」の話だけれど、
家康がなりふり構わず秀頼を殺したのも、
鎖国をしたのも、
「信長の計画」を完全につぶすためだったのかも、
なんて思ってしまった。
面白かったです。
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